フォーラム詳細(出演者の発言要旨)

フォーラム内容

2005年1月30日 せんだいメディアテーク

大村氏(コーディネーター):フォーラムの開催趣旨について

大村 虔一せんだいセントラルパークは、私が東北大学にいた時代に学生さん達と研究室のプロジェクトとして勉強を始めたのが最初である。

ニューヨークのセントラルパークは、この大きさ(約800m×4,000m)で非常に多様な活動ができ、大都市で生活している人にとって欠かせない場としてのオープンスペースである。仙台の大橋を中心とした一帯はかつて公権力の中枢拠点だったが、今は文化施設が集まり、未来には市民の生活文化の拠点になる場所となりえる。そして奥羽山脈からきた自然と広瀬川で都心と交じり合う位置にある。

敷地の利用状況は、多くの土地が公有地となっている。河川は県、市の公園予定地、博物館用地、県の美術館の土地、東北大学の川内・青葉山のキャンパスが展開している非常に大きな公共空間の集まりである。

歴史的には、1600年頃伊達政宗が仙台城下を創った時に、大きく2つの軸があったと思う。1つは奥州街道の軸でここには商店が並べられた。もう一つは広瀬川の軸で、この広瀬川の両岸には大きな伊達家の家臣の屋敷が並んでいた。これを私は「まつりごと軸」と呼んでいる。仙台城には懸造という清水寺の舞台の様な建物があり、ここから見下ろすと城下だけでなく、広瀬川と自分の重臣たちをぞろっと見ることができた。この「まつりごと軸」は明治維新以降影が薄くなり、替わって西公園や東北大学の片平キャンパスなどになる。最も仙台らしい景観、河川中流域の河岸段丘上に発達したまちという特色が一番でる所が、その全体的な計画が手薄ではないか、それがセントラルパーク構想を作ろうとしたきっかけだった。

せんだいセントラルパークは、その用地を仙台市が買って公園にする計画ではなく、宮城県や東北大学などの土地所有者がデザイン協調し、例えば大学の中にある緑も一緒に市民が散策に使える場所として活用しながら、一つの大きな公園の様なものを整備していこう、というのがねらいだ。そのためには、従来の公園の考え方を変えて、市民が本当に都市生活になくてはならないものとして、楽しんでどんどん活用し都市らしい姿を創り出すことがとても大切で、ハード先行ではなく、ソフトとあわせて計画が進められる必要があり、それがこのシンポジウムの意図である。

佐藤氏(プレゼンター):せんだいセントラルパークの魅力と構想内容について

佐藤 芳治私たちは昨年の3月に仙台の30年後のまちづくりを考えようということで、「仙台都市デザインマスタープラン2004」を提案した。その基本となる内容は、既存の「商業業務拠点」と、広瀬川を挟んで反対側にあるもう1つある「学術文化拠点」の2つの都心を「双子の都心」と位置づけ、その真ん中をせんだいのセントラルパークに見立てることができるのではないかと考えている。

このエリアがどうなっているのか1年間かけて写真を撮りながら歩き回り調べてきた。その調査の成果として、景観を切り口にまとめたものが、本日お配りした「せんだいセントラルパークガイド1」である。今回は、この「ガイド」とスライドを使いながら、歴史的資源と景観などのせんだいセントラルパークの魅力について説明して、少し提案もお話したい。

仲の瀬橋から見ることができる広瀬川の崖面には、良く見ると500万年前からの地層が確認できる。川底には化石があり、竜ノ口渓谷も1万年前頃から侵食されたものと言われている。藩政期には松尾芭蕉や土方歳三なども大橋を渡っているなど、歴史的なストーリーもある。明治に入ると諸大名の屋敷跡が小学校、裁判所、大学、公会堂など市民が使う建物・土地として利用された。大正11年アインシュタインが仙台に来て当時西公園にあった公会堂で講演をしたり、昭和3年の市電環状線が開通に伴い評定河原に動物園が、五色沼はスケート場になるなど大変にぎわいがあった地域だと思われる。ところが戦後の区画整理をへて、高度経済成長期には新幹線が開通するなど、まちの中心が東側に移ったことによって、このあたりが市民生活から遠い存在になってしまったと考えられる。

少し遠い存在であったがゆえに、雄大な自然環境が残っているという見方もできる。また、広瀬川は中流域の都市河川としての魅力が段丘に現れている。約20mはある高低差は通行を阻害する要因でもあるが、崖に囲まれた独特の景観や空間を創り出しているため、このエリアのグランドデザインを考える上でキーポイントになる。

仙台のシンボルである、青葉山、経ヶ峯、広瀬川を見ることができる場所を調査して図にプロットした。すると、街の中からは現在はほとんどそれらを感じることができないことが改めて浮き彫りになった。藩政期にはお城と城下はどこからでも「見る/見られる」の関係があったのだろうが、現在はそれが限られたところからしか見えない。これは今後の都市のデザインの課題だろう。また、パノラマやビスタなどはもっと周りの建物が協調しながら全体の景観を作っていくことが必要だと感じている。

このような計画を進める仕組みとして、ひとつはこのエリアを管轄している公的組織が目標像を探っていく協議会、もう一つはここでこう使ってみたいと考える市民や市民団体がデザインワークショップを行いながら、その二つの場が合わさった計画デザイン会議のような枠組みの中で、みんなで一緒に話し合う場が必要と考える。いろいろな人にヒアリングも行い様々な情報も頂いてきた。今後は、みんなにせんだいセントラルパークの魅力を体感してもらうガイドツアーを行っていきたい。一方で、ハード整備の情報収集しながら、提案を行っていきたい。

西村氏:景観法について

西村 幸夫都市デザインワークスが考えているセントラルパークは単に河川敷や公園だけではなく、周辺の市街地含めて大きな軸として提案されている所が特色だと思う。公園だけでなく全体としてコントロールしなければならない。そのためには景観条例などの活用が考えられるが、この条例は強制力を持たないので、民間が行うプロジェクトが大きくなればなるほど事業計画とすり合わせできなくなる。また、悪質な業者がでてきたり、国立のマンションの様に裁判になる例も多い。

昨年12月から施行された景観法の一番の眼目は、自治体が条例で今までお願いしかできなかったことを、少し強制力を持たせて、こんなことやったらダメ、こう変えなさい、建ててはいけない、と言える仕組みを作ったことである。また、これまでは国で法律を作ると細かいルールも一律メニューを作って数値も決めて、自治体に選ばせるという流れだったのが、景観法は規制の中身は全て自治体に任されている。地域の個性を出すために、地域で考える仕組みになって、地方分権の流れに乗っている。

仙台市ではおそらく全域を対象に景観計画を作り、その中で、そぐわない建物があったら、今までの条例から一歩進んで変更命令が出せるようになる。特に重要なところ、例えば広瀬川沿いで景観が大事と思うのは単に河川の緑地を守るだけでなく、周りに高い建物が建つと、その建物からの景色はいいかもしれないが、建物自体は周りから見て見苦しい。他と合わせて低くして下さいというルールを決めることができる。それをどのくらい強く言えるかだが、景観地区の指定をすれば、非常に強い力で建物をストップすることもできるし、デザイン・高さ・色彩・敷地面積に関してやめなさいと言うことができる。

また、今まで建築協定と緑地協定が定められたが、加えて景観協定を作ることができるようになった。建物でも緑地でもない例えばゴミのステーションに変な時間にゴミを出せば景観をみだすから、そういうルールも決められたり、ショーウインドーは21時まで灯をつけるとか、この建物はこういう飾り付けをしようというルールを作ることができる。もう1つは、景観重要公共施設というものを、河川や道路も公共の施設ということで決めることができる。広瀬川も例えば河川改修でも景観を見苦しくすることはいけないと決められる。広瀬通や青葉通などの道路も同様である。通りを景観上良くなる様な使い方もできるようになる。例えばオープンカフェはにぎやかさを演出するために良いことだと認められると、普通は道路にお店を出せないが、ある資格を持った人が出せるようになる。

手続きとしては、景観計画区域は条例で定めることで、ある部分は変更命令ができる。もっと強い景観地区に指定すると、建物の高さ、容積などは建築確認申請でチェックがかかる。だから建物の高さは30mと地区の中で決めると、30mを超える建物については建築確認がおりない。また、建物を建てるときに色とかデザインは建築確認申請にかからない。同じ形で、黄色でも黒でも関係ないわけだが、地域から考えると色が重要なことがある。そういう形態・意匠・色彩に関しては市町村長が認定する。市町村長がこの地区にはこの色は合っている、ということができる。認定がおりないと建物が建てられない。認定を無視して建てると違反建築になる。変えなさいという是正命令が出せる。非常に強いことが言えるようになった。ここが条例だけではなかなかやれなかったところだ。ただ自治体が頑張らないとできないし、その頑張りも市民が支えてくれないと、議会もOKしないので、世論の後押しも重要になってくる。そういう制度ができて、せんだいセントラルパークにもかけられる可能性がある

周りに建つ建物との調和が課題となろう。いろんな形で制限をかけたり、調和をお願いしたり、景観条例とか景観法の仕組みをうまく活用しないといけないが、制約されることへの反発がいろいろな所にある。しかしある会議で渋谷区の区長が、「自分たちの街には代官山ヒルサイドテラスというのがある。あれは全然建物の容積を使い切っていない。だからその意味では建てたときはプラスじゃなかった。けれども、それが2、3軒続いて、人気が出て、それを真似て同じようなものを別の人が作ったことにより、街全体がすごく雰囲気がよくなって、人も増えて、イメージも上がって、結果的に魅力のある街になって、地価もちゃんと安定している。」と発言された。その意味では、この広瀬川はすごく魅力があるから、それに合ったものをうまく作ることによって、資産価値も上がるし魅力も上がるような仕組みが、市街地にもうまく広げられると思う。

西村氏:せんだいセントラルパークに対して

西村 幸夫今このセントラルパーク周辺でいろんな事業が行われて、いいタイミングだと思う。1つ1つの単体を超えて川沿い全体を少し大きなビジョンを持って次に伝えることが大事だ。例えば、定禅寺通や青葉通を作ったときに、あまり細かく考えないで、やはり大きくここからここまでは大きな道を作って、緑が豊かになってというイメージと大きな構想があったと思う。その意味で、例えば川沿いは、ずっと通れるとか、その中にそれぞれの公園や施設が位置づいて、市民のための大きな通が、定禅寺通とは違う性格のものが作られていくという大きな全体像が必要だろう。目の前のケヤキの緑がずっと川沿いまで、ある1つの大きな回遊路になっていて、全部歩くことはないかもしれないが、大きな構想の一部分でも歩いていると、このようにまちができている、とまちの構造を実感できることや来訪者にもそう説明できることはすばらしいと思う。

公園などは管理者の視点から、何が皆にとっていいのか。それをサービスすることが公共にサポートすることだと大きく発想を変えなければいけない時期だ。座るだけじゃなく、ワゴンがでたり、カフェがあったりということが公共のためで、お店を出す人にお金を取って、使用料が公園の管理に使われたり、いろいろな形で循環する仕組みがあれば、それは公共的であると。そうしないとここは県管理、市管理と完全に地面に色分けをして管理のことばかりで、ばらばらになるが、ライフスタイルからは全く一体のもの。住んでいる所まで含めて一体だ。だからその意味での大きな発想の転換が必要だと思う。

庄子氏:仙台市の公園づくりについて

庄子 稔緑美しいまちといわれる仙台が、今なぜ杜づくりか。それには、3つのキーワードがある。1つは個性。政宗公は戦国時代の生き残り策として、自己完結型のまちづくりを目指したが、やはり今、都市間競争に打ち勝つためにも、地域の個性を活かした魅力あるまちづくりを進め、仙台の個性、全国ブランドである杜の都をさらに風格のあるまちとして高めていくこと。第2点は環境。地球規模での環境問題が問われ、環境作法、環境への貢献という視点に立脚した緑の役割や機能を意識したまちづくりを行うということ。第3点は協働。行政主体のまちづくりから脱却し、市民や企業が主体的に関わる協働のまちづくりが必要である。

具体的には百年の杜づくり行動計画を策定している。その中で10項目の重点施策のひとつに市街地の緑の回廊づくりという事業がある。これは仙台駅を中心に半径約2キロ圏内を重点的に緑化する事業で、最重点施策として取り組んでいる。中でもJR仙台駅から青葉山公園に至るまでの杜の都を象徴するシンボルゾーンについて、現在3つの委員会を立ち上げている。1つは青葉通のケヤキ並木や道路空間を再構成しながら、ケヤキ並木を持続的に保全し、街並みづくりを検討する青葉通再生基本構想検討委員会。2つ目は西公園。明治8年に開園した市内で最も古い公園で、施設が老朽化していることに加え、東西線の駅が園内に整備されるので、市民に一層親しまれる公園にリニューアルするための西公園再整備検討委員会。3つ目が青葉山公園の基本計画を見直す委員会。この公園計画は実は平成8年に青葉山公園基本計画が策定されたが、平成15年に公園の一部が国の史跡指定を受けたことや、東西線の駅が設置されるなど、整備環境に変化が生じ、今日の時代背景を踏まえた見直しを行うことを目的とした青葉山公園整備計画検討委員会を設置している。

これからは仙台の地域力をいかに行政に反映させていくかということだと思う。昨年、広瀬川市民会議という緩やかなネットワークが、結成され、行政も水の窓口を一本化して、百年の杜推進部に広瀬川創生室を設け、現在広瀬川創生プラン策定推進委員会で、プランの策定だけではなくて推進まで、これから検討していこうとしている。

関口氏:広瀬川などでの活動の紹介、公園の使い方などの提案

関口 怜子最初はビーアイの子供たちと西公園周辺の仙台らしい所を遊びまわっていたが、子供たちだけで遊ぶのはもったいないので、仙台風倶楽部という小さなクラブ活動を始めた。広瀬川の周りにはものすごく資源がある。広瀬川が仙台をつくってきた。また仙台には東北大学、東北工業大学など本当に詳しく知っている先生がいっぱいいるので、「ゆいもりネット」を作った。「ゆい」とはつなぐという意味。単なる川でもここにその道の達人や研究者がインタープリターとなってガイドを受けると全然違う場になる。「目からうろこ」のワークショップでは竜ノ口やら広瀬川の中を川こぎしてシェルベット(貝の化石)を見つけたときの喜びとか感動を味わった。本当に自分のまちを旅してワクワクする。どんな場にも物語があって、本当にドキドキしながらまちを歩いたり、川をこいだりしているが、それをもっと仙台に住む人に伝えたい、という想いで、ここ10年ぐらいの活動になる。

花壇という立派な名前を当時付けたのに、家ばかりになって、政宗さんがイメージした、自給自足の実のなる木など家のまわりを考えたのが残っているのか、あるいは戦災で焼けたにせよ、そういう杜の都の原風景を意識して私たちはまちを再生してきたのかなと思う。私はいいまちの条件は、一番はここにいて安心というのが当たり前だが、会いたい人がいるまち、行きたい場所があって、その人たちと何か一緒にやりたいことがあるまち、だと思う。

今やらなきゃいけないことは、本当の意味での杜の都が体感・実感できるエリアをちゃんと残すことと思う。ただ残すだけではダメで、そこの場が美術館や博物館や植物園があって、それがもっと人、物、情報の融通も含めて連携がなされると、本当の意味で自然や文化や歴史がちゃんと残って体感できる。それは市民が誇りにするだけじゃなく、他の国やまちの人に見せることができると思う。

具体的にはあの場所はヒューマンスケールでルーフレスのミュージアムで子どもと大人の居場所、沢山のコミュニケーションサービスのワークショップが常になされればいいと思う。結局は住みたい、使いたい、暮らすというイメージを最初に沢山私たち市民が持って環境整備をしないと意味がないと思う。

定禅寺通は通の中に公園ができて、公園の運営もNPOの人たちがやり始めて、私は本当に進んだなと思うが、もっと楽しい雰囲気、例えば、歩いていくとすぐいつも休めるスペース、お休み場のようなところが足りないかなと思う。もちろん目からウロコでも西公園、青葉通などを歩いてみるのですが、もっとみんなは実際に話を聞くだけではなく、歩いてみたらと私は言いたい。沢山の歩く人が出てくると、そこの場はもっと美しく、豊かに、生かされていく。

また、このエリアにも食する楽しみというのが絶対必要だなと思う。「食べられる公園」「食べられる樹木」を杜の都の発想に入れたい。セントラルパークの構想の中には、のどが乾いたから一服するだけではなくて、会っておしゃべりして、仙台のまちに生きていてうれしい、よかったということが確認できるおしゃべりする空間、場が必要である。

一番言いたいのは、公でこれから作ったり考えたりするときには、もう少子時代だから、どの公共空間も小さな0歳から3歳くらいの子供が遊べる空間、市役所の中にも必ず子供がそこで受け入れられ、安心して連れて行けるという認識を持って空間作りをして欲しい。今ある財産をコーディネートするデザインセンターというかNPOのような動きが一番必要だと思う。それが結局、街を活性化させて、ここに住むこと、ここに行くことがうれしいということにつながると思う。遊ぶデザイン、働き方のデザイン、生き方のデザインまで含めて、その空間をどのように時代にあったものとして育てて、つくり、リメイクしていくかを話し合っていくデザインセンターというものが、新しい「百年の杜」の構想の中に入るといいなと思う。

大村氏:まとめ

大村 虔一今後に向けてどう考えていくか大変貴重な意見を頂いた。やはり従来あった計画の作り方、視点そのものをダイナミックに変える必要があると思う。というのは、20世紀は日本の人口が5千万人から1億2千何百万人へと倍以上になった。今が頂点でこの後の100年で半分になる、つまり100年で倍になって、100年で半分に減る。そうすると人が半分になっていくこれからの100年の中で、仙台の街はここに持っている仙台の魅力を益々磨いて、人々が住んでみたいと思う街にどうできるか、街をどう維持していくのかはとても大きなテーマになる。それはシンボルとなる公園も大切だし、そういう公園に面して気持ちのいい住宅をまちづくりでどう作って展開するのかも、とても大きなテーマだ。そして、そのようなことを皆で考えるためには、物を作る仕組みも大切で、市民と行政がどうパートナーシップをとるのか、しっかり見直していく必要がある。そういうことをコーディネートする組織、ソフトを集めていく組織をどう作るかも重要になってくる。そして、川の使い方は川の使い方、公園は公園、住宅を作るのは住宅と、行政は部局に分かれる仕組みになっているが、それら全体をまとめて総合的にどうするかを今とっても議論をしなければならない大切なことではないか。その意味で、それぞれの市民活動や行政の委員会などが、集まっていく場、広場、みたいなものをどう作れるのかが、非常に重要なテーマだと思って聞いていた。

個々人のいろんな楽しみをどうエンジョイするか、そのために市民団体は一生懸命やるし、行政はその場つくりにいろんな応援をしている。そうした関係を作って楽しい仙台をどう実現するかが与えられたテーマで、これに向けて市民、行政、企業も含めて、新しい仕組みを作っていくような気がするし、僕は、先ほど佐藤さんの絵にあった宮城県、仙台市、東北大学とかが一緒に話し合える場を準備していくことを考える必要があると思う。