[TALK]に参加してきました


開館から15年を迎えるせんだいメディアテークが、施設を飛び出してアートワークの展開も図るアートノード事業がスタートします。その口火を切るイベント[TALK]が、7/28夜に青葉の風テラスで行われました。

川俣正さんのお話が1時間と、五十嵐太郎さんが加わってプラス40分のTALK。

川俣 正
パリ在住で「アートプロジェクト」の先駆者と言われるアーティストです。総合ディレクターを務めた2005年の横浜トリエンナーレは、展示期間中にもかかわらずアーティストが作品を作り続け、鑑賞に来た人も手をかす展示スタイルを確立しました。
五十嵐 太郎
数々の著書・雑誌コラムを執筆する建築評論家。2013年のあいちトリエンナーレ芸術監督を務めました。

 

来場者およそ140名の会場は、淡々と熱く語る川俣さんの声と地下鉄の車両音が鳴り響くほど、とても静かでした。

アートノード=コブを作る祭り、を考える

冒頭、せんだいメディアテークの甲斐さんがアートノード事業を概説。

メディアテークのコンセプトには「ターミナルではなくノードであれ」という考え方があるそうで、アートノードはそのノード(=節点、節目、コブ、紛糾)の役割を強く意識した事業。

最近よく全国各地で聞かれるようになったトリエンナーレやビエンナーレの国際芸術祭の仙台版がアートノードです。震災5年が経ち変化し続ける仙台は、どんな展開の「祭り」となるのでしょうか。

この事業自体を考えるテーブルを設けていくので、間接的な「祭り」の体感もできるプロジェクトとなりそうです。

 

建築とアートの違い

川俣さんは、油絵科を専攻していましたが大工仕事が好きで、学生時代からみんなでワイワイ作品を作っていたと言います。1983年から、作って壊すを繰り返すアートプロジェクトを始め、ランニングハイのように単純さを乗り越える行為を続けてきました。

ただ完成が見えない危なっかしく壊れそうな作品は、世間からビジュアルテロリズムと揶揄されていきました。徐々に静的な作品へと移行し、橋などの機能を持った作品が川俣さんの代名詞になっていきました。

しかしある時に建築家とアーティストの考え方の違いを問われる場面になったそうで、その答えとして作ったのが今回のイベント「TALK」のチラシに使われた野菜カゴによるアート作品です。

http://www.smt.jp/news/2016/06/post-46.html より引用)

 

「誰かが使ってそうな作品」から「誰かと作る作品」へ

材料の更新メンテナンスさえすれば、建物とアートワークは変わらないと考えた川俣さんは、1990年頃から入れない・辿り着けない・誰も使ってない小屋群、スラムの村みたいなものを作り始めました。

2006年頃になると、小屋を気付かれるか気付かれないか際どい場所に作るようになってきました。まずは木に、そして建物に鳥の巣のように、ついにはナポレオン像にまで。発見できた人だけが共有するように、まるでテーブルの裏にガムをくっつける感覚で作品を作っていきました。

こうした作品は川俣さんが学生や建築家・構造家と一緒に制作してきましたが、ある時に薬物中毒患者と一緒に作品を作る機会を得ました。運河沿いに遊歩道を作る作品から徐々に船を作ってツアーを始めて桟橋を作って…と川俣さんが当初に作ろうとしたものから変わっていったのです。

 

日本、閉ざされたアート

川俣さんは、誰かと作るプロジェクトを日本で始めました。

ご自身の地元・福岡県田川市の炭鉱で行われた10年間の「コールマイン田川プロジェクト」。塔を作るためにスタートして、まずは集会所を作りトーク、インタビュー、ディスカッション、ワークショップなどを行いましたが、プロジェクトは塔を作る前に終止符をうちました。

そして現在進行形のプロジェクト「北海道インプログレス」。川俣さんは鑑賞者の視点を意識してこなかったと言いますが、このプロジェクトはなんと会員のみが見れるアート作品。会員がアイディアを出し合って自分たちが楽しいことをやる。

現場での決定に委ね、仮設を長期間継続し、様々な材料を使う。
どうやら川俣さんは「蛸壺の発酵する純度に興味がある」そうで、今回のアートノードでも、外の人が羨ましくなるくらい参加した人だけで作品を作りたいと言います。

 

究極的なアートプロジェクト

五十嵐さんは川俣さんの話を聞いて、塔を建てるために集会所を作るとは、まるでカフカの小説のようだと評しました。そして様々な人たちと作品を作る姿勢は、最近よく聞くようになったコミュニティデザインという言葉や、東日本大震災後に建築家が作った「みんなの家」を挙げ、多分野で同様の傾向があると言います。

2人の共通の考えとしては、アートはまちづくりができない、ということです。時間軸のある地点で注目されることにはなるが、それ以降はアートの役割ではなく、「アートで市民が健康になった」といった話は全くもって信じがたいことであると。

最後に川俣さんは、スウェーデンで流木を使い構築物を作り続け、撤去命令が出ても辞めずに独立国家を作ろうとする活動(今では観光スポットになっている)を例に挙げ、究極的なアートプロジェクトとは「誰にも迷惑をかけなければやっていいだろう」と唐突に登場するものであるとTALKを締めくくりました。

 

 

アートノードという事業が市民にどう寄与するのか未知数ですが、川俣さんの積極的な「一緒にやりましょう」という熱い言葉に、静かだった会場の一人一人の心の中にフツフツとしたものが沸き始めたかもしれません。

ミュージアムが数多く集積するせんだいセントラルパークでも、誰かに価値づけされたものを作品として認識して鑑賞する他にも、施設内でなくとも知る楽しみ・学ぶ楽しみに出会える場が成立するかもしれません。

この日、青葉の風テラスに新たな風・刺激が吹き込んだことだけは間違いないです。